小田セン。

プリパラ、そしてプリチャンを嗜むある鉄道マニアの記録。

映画「HUGっと!プリキュア・ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」感想 ~15年の時を経て~

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「おい!ここはプリチャン関係のブログだろ!なんで急にプリキュアの感想なん!?」

って閲覧者いそうな気もしますが、ほんとこの映画は、あまりにも、エモすぎたのです…

2012年放送の「スマイルプリキュア!」からプリキュアシリーズを見るようになったワタクシ。それ以来過去作もチェックし、映画も翌年から全て観るようになりましたが、今回の映画は、私含めこれまでプリキュアに触れたすべての人間に贈る、15年分の重みが詰まっていました。

この有り余る想い、正直140字以内に収まりそうにないので、この場をお借りして感想をつらつらと述べたいと思います。

…と、その前にひとつ。

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今回の映画の公開に前後して、ニコニコでは「ふたりはプリキュア」のチャンネルが開設。期間限定で無料配信もされていました。すでに無印は全話見ていた身ですが、これを機に見返してはいたんですが…見ていて映画と絡めて気付いた事がいくつかあったので、それも含めて述べたいと思います。

 

・改めて認識させられた「プリキュアとは何か」という意義

はなとなぎさを除いたプリキュア全員が、ミデンに記憶を奪われベビー化されてしまう異常事態。泣き出すほのかをあやそうとなぎさは必死だが、辛かったむしろはなの方だった。

親の元へ行こうと逃げるアンジュ、怖がりで泣き出すエトワール、大人しいけど喋らないアムール、終始ぐずり靴を38回もぶん投げるマシェリ

はぐたんの世話を5人が協力して成し遂げるようになってきた中で、突然4人の幼児を1人で相手にしなきゃならない事態に、はなは耐え切れず涙を流す。

それを見てハリーは「プリキュアともあろう者が…」とこぼすが、それに反論するかのように、なぎさは「プリキュアだって中学生の女の子だよ!」と言い放った。

この言葉はなぎさだからこそ言える金言だ。

映画の冒頭では、横浜に突然現れた巨大怪物をブラック・ホワイト・ルミナスのたった3人で撃退していた。その雄姿はまさに、「最強のヒーロー」と言っても過言ではない。

しかし、そもそも彼女たちはチョコパフェを食べにい行こうとしたら怪物が出てきたので、とにかく倒して、人を助けて、日常に戻ろうとしたまでに過ぎない。

なぎさにとって、ドツクゾーンと戦っていた頃は毎日がそんな日々だった。自分の青春に必ずつきまとう邪魔者の存在。なぎさはいつも、プリキュアの使命と自身の日常の狭間で揺れ動く毎日が続いた。あわよくば、戦いに巻き込まれない方が良いし…そんな経験をしていたからこそ、なぎさは正直にああ言えるのだ。

プリキュアといえど、変身を解けば普通の女の子」。

それは15年も続いてきたプリキュアの根幹のひとつだ。

ヒーローなんだから泣くなほざくな弱音を吐くななんてのは彼女たちにはナンセンスだ。泣くことだってあるし、思った事は思いっきり吐いたっていいんだ。ましてや中学生なんだから。

 

・誰が為にプリキュアは戦う

映画では、ミデンに対し、

雪城ほのかは世界でひとり!アンタに記憶を奪われて戸惑ってるあの子が雪城ほのかなの!」

「返して!私の一番大事な人を返して!」

と、必死に訴えるなぎさの姿があった。

なぎさはなぜそこまで必死にほのかの事を想うのか。そのルーツが、無印の42話にあると後から配信を見て気づいた。

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自分にとって大事なものとはなにか?と考えていたさなか、種の3者の策略により、離れ離れにされたブラックとホワイト。いつも一緒にいたパートナーが傍にいないことに、不安や恐怖、悲しみ、そして「無力」を感じたなぎさ。必死に探し、必死に戦い、そしてほのかを見つけ出した時、なぎさは号泣した。そして、「大切な人を大事に思う」そんな自分の気持ちを大事にしていこうと決めた。

美墨なぎさ雪城ほのか。本来なら、決して出会う事のなかった二人は、プリキュアの変身者に選ばれた事で引かれ合った。そして…

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「8話」とだけで通じるほどに伝説となったこの回で、二人の関係は「友達」へと変わり、そして、互いに大切な存在になっていった。

さっきの項で本当なら戦わない方が…とは言ったが、プリキュアになったことで得たものもあったのだ。それが「仲間」。

そして、これこそが、プリキュアの強さの源だ。42話では、仲間を失って初めて仲間の大切さに気づいたなぎさは、尋常じゃないパワーで敵を蹴散らし、ほのかの元へとひたすら走っていった。

プリキュアの使命を果たすのも、世界を護ったり救ったりするのも大事だ。でも、元は普通の女の子であるプリキュアにとって、一番大切な存在は「仲間」だ。仲間への想いはどの作品においてもプリキュアの力となり、奮い立たせてきたのだ。

…そして、野乃はなも。

はなが涙したのは、たくさんの幼児を相手にしたストレスだけでなく、これまでずっと5人で育んできた友情が、仲間たちの記憶を奪われた事で全て失ったのもあった。

しかし、唯一無二の友達を失いながらも、その友達の想いを必死にぶつけるなぎさを見て気付く、たとえ周りが記憶を失っても、自分は覚えてる。だったら、まだ諦めちゃいけないと。「こんな所で挫けるなんて、私のなりたい野乃はなじゃない!」とはなは自分を奮い立たせ、再び立ちあがり、ミデンに立ち向かう。

仲間の為に戦うプリキュアは、誰よりも強い!

 

 ・必要なのは「応援」だけではなかった。

映画プリキュア恒例、ミラクルライト応援タイム。今作の切り口は久しぶりの「第4の壁越え」だったのだが…そこからが、これまでとは大きく違うものだった。

一度は記憶を取り戻した初代チームとはぐプリチームもミデンに再び記憶を奪われ、とうとうプリキュアは全滅してしまう。…が、記憶が奪われてベビー化してるだけで、プリキュア自体は55人もその場にたっくさんいる。

誰かがプリキュア対し強い想いを持っていれば、プリキュア達を元に戻せるのは判明している…が、ハリー達ではそれだけやれる記憶を持っていない。

そこでハリーが「観客のみんな」にお願いしたのは、「みんなの応援」というよりもむしろ「みんなの中にあるプリキュアの記憶」だった。

みんなの好きなプリキュア、初めて見たプリキュア、昔のようにライトを振って応援していたあの頃、なんでもいいから、何人でもいいから、みんなの知ってるプリキュアの事、すべてをぶつけて欲しいと――――!

 

元々は子供の観客参加の一環で登場したミラクルライト。故にこれの主役は子供たちで、大人たちは心の中で応援してね♡ …というというニュアンスがもう長い間続いていたのだが、その逆を突いた演出には度胆を抜かされた。

当時ライトを振っていた子供が、ライトを貰えなくなる歳になって久しい時になって「昔のように応援していた頃の事を」と言われたら思い出さざるを得ないだろう。

2004年に始まったプリキュアシリーズ。それから15年の時が経ち、最初のプリキュアを見た世代は、今や大人になり、更に今度は親として再びプリキュアを見ている者もいるだろう。

親だけじゃない。この長い歴史で、老若男女問わず多くのファンを生み出してきた。シリーズずっと見てきたファンもいれば、ある作品だけ見ていたというファンも少なくはない。

子供、親、かつての子供、そしてファン。この15年もの間にプリキュアを見ていたすべての人に突き刺さる、切実なる「お願い」。

例年通り心の中で応援とかやってる場合じゃない!

いや、もはやライトすら必要ない!

今回ばかりは、正真正銘の「みんなの応援」が必要だったのだ。

「オールスターズメモリーズ」と銘打っている理由が分かった瞬間でもあった。

 

・15年の時を経て成し遂げた「救済」

ミデンの正体、それは発売直前にメーカーが潰れ、1度も使われる事なく朽ち果てるだけだったフィルムカメラ「MIDEN F Mk-Ⅱ」のお化けだった。「ずっと暗い箱の中にいた」という台詞から、おそらくデッドストックの…だろうか。

カメラで記録される筈のものが未来永劫ない。というカメラにとって死活問題から脱却するために、彼はプリキュアの記憶を奪う事でそれを満たそうとしていたのだ。しかしそれでも満たされず、寂しさだけが残る。どうあがいても寂しさからは逃れられない。

映画プリキュアの敵役というのは、実は本編の敵の理念から「少しズラした」ものであるのが多い。HUGっと!の敵、クライアス社の理念は「未来を閉ざして、過去の栄光を永遠のものにする」というのだが、ミデンの場合は、「過去すら無かった」のだ。

…とここで、映画を見る一方で初代の配信を並行して見ていくうちに、ひとつ気づいた事がある。ミデンの行動理念は、大いに似ているのだ、初代の敵、ジャアクキングに。

光の園のクイーンと対を成す、闇の化身であるジャアクキングだが、自身が持つ「全てを喰いつくす力」は、あらゆる世界を喰いつくすどころかジャアクキング自身をも蝕むという、もはや毒ともいえるものであった。その苦しみから逃れる為に、「全てを生み出す力」を持つプリズムストーンの奪取を企てていた。

また同じように、ジャアクキングから生まれた種の3者も「全てを喰いつくす力」に蝕まれており、最終的には自由を求めプリズムストーンの力を独占しジャアクキングから離反する事になる。

…と、自身の辛い現状から脱却するために、希望あるものを奪い漁るという点で見れば、ミデンとジャアクキングは実に似ている。

だが、ジャアクキングの場合、相手が悪かった…と言うのは何か違うが、ブラックとホワイト、そしてルミナスでは、ジャアクキングを「倒す」ので精一杯で、とてもじゃないが和解の道を探る余裕など無かった。自分達の世界を護る事、そして表裏一体の存在である光の園のクイーンとの均衡を保つには、そうするしかなかったのだ…

しかしミデンの場合は違った。

他のプリキュアの記憶も取り返すべく初代とHUG勢でミデンを倒そうとするなか、一人だけ、違う想いを抱いていたのだ。キュアエール、野乃はなである。

ほのかとさあや達が復活した後、エールはミデンに対し「人の記憶を奪っても、それはあなたの記憶にはならない!」と一喝した。するとミデンは「僕だって…!」と吐露しながら、はなの持っていたコンデジに傷を付けながら去って行った。

傷ついたはなのコンデジ、未使用のMIDEN F。そして、決して満たされぬミデンの心。これらからエールはある疑問を抱く。

自分は仲間もいるし、家族もいる。そういう記憶を持っているし、コンデジはそれがいっぱい詰まっていた。ではミデンの「からっぽ」とはどういう事なのか…と。そしてミデンに記憶を奪われたその時、「からっぽ」とはどういうのかを知った。何もかも無い、空虚な世界を…

そこでエールは思い切った行動に出る。全員のプリキュアの記憶がミデンの元から離れ戻った時、エールだけはミデンの中にしがみつき、離れなかったのだ。自分も出て行ったら、ミデンはまた「からっぽ」になってしまうと。

そして他のプリキュアの応援も受けて、エールはミデンの心の深淵にたどり着く。そこでミデンの寂しさや悲しみを知ったエールは、こう言った。

「偉いね」と。

一番驚いたのはミデン自身だろう。満たされぬ心を満たすためにプリキュアの記憶を奪ってきたのに、それを褒めてきたのだから。

勿論、他人の物を奪うのはいけない事だ。でも、苦しみから脱するために行動するのは悪い事じゃないし、むしろ褒めるべき事だ。それを踏まえてエールは、「思い出を奪うのではなく、一緒に思い出を作っていこう」と、ミデンに寄り添うのだった。

そしてすべてが終わり、平和な日常。そこには、MIDEN Fを手に54人の仲間たちを撮りまくるはなの姿があった。長い苦しみから解き放たれ、一緒に思い出を育むために。

 

…似たような境遇の敵を、15年前は倒すしかなかったのが、15年経った今では逆に救う事ができた。これこそ、プリキュアが15年もの時を経て培った、一つのアンサーだと私は思う。

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当初から単純な勧善懲悪ではないプリキュアであったが、初代の時点では、キリヤのように、「闇の者はどうあがいても闇に還るしかない」という悲しい運命が待ち構えている存在もいた。しかし、S☆Sの満薫、フレッシュのイースと、その運命は年を、作品を重ねるごとに「救済」されていったのはご存知の通りだろう。

そして大きなターニングポイントとなったのはおそらく、8作目の「スイートプリキュア♪」だろうか。

スイートのラスボス、ノイズ。負の感情の集合体である自身を怨む彼は、負の感情を生み出す物=世界そのものを滅ぼし、それで自身をも消滅しようとした、自暴自棄とも言える目的を持っていた。

そんな彼を前にプリキュア達が取った行動は、倒す事ではなく、手を取る事だった。

浄化され、転生したノイズを受け入れて「闇をも受け入れて前に進む」という確固たるメッセージを以て決着したラスボス戦は、放送開始まもなく3.11が起こったというのも影響にある。しかしスイート以後、「ラスボス・映画ボスに歩み寄る」展開を見せた作品は数多くあるのも事実だ。

特に「プリキュアオールスターズNewStage」のキュアエコーは、ラスボスと対話する為にプリキュアになったという、歩み寄る展開の最たる者だろう。

プリキュアの英語表記は「Precure」だが、その語源は「Pretty」と「Cure」から来ている。「Cure」とは、「治す」「癒す」という意味だが、その「癒す」対象は、15年経ってだいぶ広いものになったと言える。

身近な者から、敵の親玉まで。救える可能性があるなら、絶対に救って見せる。この15年でプリキュアは、文字通りの「みんな」を救うヒーローにまでなったのだ。

 

・何もかも全てが「15年」に繋がる映画。

ミデンを浄化するべく、55人のプリキュアがミラクルライトを用いて放つ「プリキュア・レリーズシャイニングメモリー」。それは、プリキュア各作品の名場面と共に、この15年分で描かれた「大切な事」を思い浮かべさせるものだった。大事な事はみんなプリキュアが教えてくれた…というのは大それてるかもしれないが、最初に言った通り、プリキュアも元は女の子。みんな色々なことがあった。だからこそ、誰かへのメッセージとして送れる。ミデンに対してだけでなく、我々にも…

プリキュア15周年記念作と位置付けられたこの映画は、オールスターズと銘打ってはいるが、間違いなくはな達HUG勢となぎさ達初代勢の物語である。しかし…

プリキュアの意義。

カメラという思い出を記録する媒体。

ミデンの胸の内。

54のプリキュアが主題歌メドレーとともに乱舞する迫力のシーン。

そして、「記憶」。

映画を見ていて、あらゆる要素がそのまま「プリキュアを見ていた者」に「15年分の何か」を叩きつけられた気分になった。そして、涙した。おそらく涙した者みな、私と同じ「エモさ」に駆られていたのだろう…

ほんと、今までプリキュアを見ていて良かった。そう思える映画だった。

そんなエモさを感じながら、最後は「MH」のEDにも出ているこの言葉で〆ようと思う。

「ありがとう&あいしてる」